要らないものは要らない

日本の親が気づけない「子供をバイリンガルに育てたい」の危険性

gunosy.com落合監督が、テレビのインタビューで語っていた。
「選手の中には、筋トレのためにスポーツジムに通う人もいるが
 求められるのは、優れた野球プレーに必要な筋力なのだから
 余計なことをしても意味はない。
 あくまでも野球で鍛えるしかないのです」

言語も同じだろう。
使う機会もなく、日常的に必要のない言語を無理に覚えてどうするのか。
中高の6年間も英語を学びながら、日本人の英語力が低いことは
古くから指摘されてきたが、それは経済構造による。
日本は加工貿易で、国外から素材を輸入し、加工して輸出してきたが
市場の主軸は内需であって、外需依存ではない。
なので、貿易業務に従事する者以外の日本人が、英語を話す必要性がなく
生涯を日本語だけで自足して生きることができた。
これとは逆であるのが南鮮経済で、内需を軽視し
外需依存であるために、英語力は死活問題に関わる。
これは南鮮に限ったことではない。
内需によって、経済的に自立できず、外需に縋る国は
取引先の言語を習得するしかない。いわば、言語奴隷のようなものだ。
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言語の構造的な問題もあるだろう。
諸外国語の文法は、ほとんどが類似しているので習得しやすいという。
逆に、日本語の文法だけは独特であるので
日本語の習得は、諸外国人には至難の業であるとも言われる。
一方、母音が5つしかなく
それと子音との組み合わせで成り立つ日本語に比べて
諸外国後の母音は遙かに多いため発音が複雑となる。
基本的に5種類の発音しかない日本人には、聞き分けができないため
日本人が完全習得するのは不可能とする説もある。
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そうした構造的な壁を乗り越えるには
筆者の語るように、十分に文化的背景を把握する思考能力が確立され
そしてビジネスであれ、学問であれ
確定した目的にともなう必要が生じた者が、習得すべきものなのだろう。