話が「分からない」バカ極左の背景に“読解力”の低下

もしかして自分も? 「話が通じない人」の背景に“読解力”の低下〈AERA

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頑迷な人間の究極の原因は
コミュニケーション力の致命的な欠落にあるだろう。
対話相手の主張を、感情や偏見や先入観を交えず
冷静に理解するだけの理性と知性があれば
的確な反論・異論を、相手に分かりやすく伝えることもできる。
互いの主張を正しく理解し合えれば、まともな論議は成り立つ。
その結果、弁証法的であれ、批判哲学的であれ
共通見解を導き出すことも可能となる。
これが建設的な論議というものである。
逆に、それができない者は、不毛な水掛け論しかできない。
「話が通じない人」とは、この状態にある愚者のことである。
             ◇
理解力が欠落するのは、ロクに書物も読まずに過ごしてきたからだろう。
難解な書物でも、根気よく理解しようと努力すれば
思考力が訓練され、観念的なものも抽象的なことも、理解する能力が身に付く。
しかし、怠惰な怠け者は、こうした努力を嫌うために思考力が低く
思考停止して、頭の悪い頑迷な愚者になりやすい。
正史と向き合う保守主義人を「ネトウヨ」と忌み嫌い
いつまでも捏造自虐史観に騙されたまま
頑なに反日を標榜する反日極左どもが、まさに典型的なモデルと言えよう。
             ◇
私事を話せば、学問の楽しみや喜びに目覚めたのは高校の候。
入学した年の夏休みに、長兄の書棚から一冊の書物を抜き取って読み始めた。
タイトルは「方法序説」(ルネ・デカルト)で、ページ数はそれほど多くなく
文庫本としても薄い方であった。
ところが、これを読み切るのに1年もかかった。
それまでに接点もなかった不慣れな哲学用語と
遭遇したこともない論法に四苦八苦。
主語と述語の結びつきが判読できず、一行の文章を分析しながら
4,5回も読み返して、ようやく把握できるという有様であった。
しかし、この時、思考訓練の基盤ができたのは確かである。
弱冠16歳の小僧ながら、難解な全文を理解できた自信から
さらにそれを深めてみようと意欲し
学校の教科とは無関係に、哲学史を独学し始めた。
お陰で、保守志向でありながらも、敵とみなす共産原理や
極左の詭弁ロジック・発想原理までも理解できるようになり
今日の論争に役立っている。
いわば「敵を知り、己を知れば…」の兵法で
「話が通じない人」とは、これができない暗愚の者を指していうのであろう。

 

佳子内親王慰安所に送れ」との記事を書いた
チョン雑誌編集委員兼女子中学教師

 

米メディアに反日広告を掲載させ
反日イベントばかりに熱中している
講義そっちのけのチョン大学助教