政治と音楽、芸術、人生が同居する時代へ

「政治に音楽」持ち込んだら本当にダメなの? 政治学者の違和感 「ヒップホップ使ってもいい、ただし…」

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欧米のポップやロックミュージックなどは
いくらでも政治が入り込んでいる。
最も多く見られる政治的主張
反戦」、「平和」、「人類愛」といったところだろう。
反戦が歌われたのは、特にベトナム戦争の頃ではなかったか。
平和はその対置理念だろう。
中には、戦争の凄惨さをダイレクトに表現することで
逆に、平和の尊さを強調する楽曲もある。
これらは、東欧陣営としのぎを削り
覇権国として世界最強でなければならないアメリカの
国体と国是に対する抵抗ではないか。
人類愛は、特にヒッピーの出現と背中合わせだったのではないか。
強いアメリカの権威主義への否定が理念だろう。
キリスト教的伝統的な保守的倫理を否定し
あくまで自分の本能を尊重し、それに基づき自分らしさを求め
旧式の倫理観念から逃れて奔放に生きることに、意義と価値を見出した結果だろう。
このため、性モラルも開放的、進歩的で
貞節よりも自由恋愛を尊重した、自分の心に正直な生き方を求めたのだろう。
           ◇
日本でも、かつては音楽と政治は同居していた。
初期の演歌は反戦ソングであり、後には反戦フォークなども登場した。
しかし、「民主教育」の名の下に政治がタブー視されるような
歪み教育の浸透により、演歌は後にお涙頂戴の人情ソングとなり
反戦フォークは、未熟な男女の女々しい恋愛ソングへと変質してしまった。
また、デカダンスという生き方も出現した。
当時の時代風潮、社会制度、システムは、自分には合わないことを
人生を通じてデモンストレーションするために
敢えて堕落して見せる生き方であり
これもそうした社会を生み出した政治への批判である。
しかし、所得倍増計画により、一億国民総中流社会が誕生して
堕落することもままならなくなった。
           ◇
では、今後はどうなるだろうか。
かつては政治への関心はタブー視され、無関心が安全圏であったが
その結果、日本国民は知らず知らずに不当に搾取され、損害を受けてきた。
日本国民は、その現実と真相に気づいてしまった。
今日、保守的主張を公言し、破壊的な反日思想を
躊躇無く真っ向から否定するのも、過ちに気づいて
誤った世論のムードを是正しようという意識に基づくものだろう。
それにともなって、保守的志向や「愛国」という観念に対する抵抗も
消滅していったのが、今日の潮流である。
そうなると、音楽であれ何であれ、政治を危険視したり
タブー視すること自体を、むしろタブー視する風潮となり
政治は様々なジャンルと、同居するようになるのではないかと思える。
音楽は芸術アートだが、政治は現実である。
現実無くしてアートの存続・成立が可能なのか、疑問である。