リテラシー無きバカ記者が「リテラ」とはとんだお笑い種だ

ゆず「ガイコクジンノトモダチ」はやっぱり「愛国心扇動ソング」だ! 中立を装うもネトウヨ的被害妄想と靖国美化

lite-ra.com

途中まで読んで、馬鹿馬鹿しくなってきた。
誰だ、この時代錯誤の記事をかいたボンクラ記者は。
日本国民でありながら、WGIPの詐欺によって騙され
捏造史観に基づく反日思想を、70年以上にも及んで
強制されてきたことへの反動としては、当然のことではないか。
むしろ、歌詞を見る限りは、それでもなおも自虐的反動表現が見られる。
歴史の真実と、それに呼応した世相も理解できていないこのボンクラ記者に
時代を読むリテラシーはあるのか??
             ◇
そもそも「ネトウヨ」などという言葉自体が
世界レベルの大きな誤謬であることにも気付けない反日バカ極左どもには
問わねばならない。
世界のどこに、自国を否定し
その尊厳を損ねて喜ぶキチガイ国民がいるのだ???
あっても、キサマらが額づく特亜くらいのものではないか。
支那中共独裁を嫌って、私財の不正蓄財で他国へ移民。
南鮮は自国をヘル朝鮮と忌み嫌って、他国へ移民。
将軍様マンセー」の北鮮ですら、脱北者が後を絶たないのは何故だ???
そして日本国の場合は、これらのキチガイどもに洗脳されたまま思考停止し
人としての思考力を失ったキサマらくらいのものではないか。
なんとか言え、ゴミども。

反日反戦平和ボケ極左どもは読め

高畑勲監督が死去 「火垂るの墓」「ハイジ」

www.nikkei.com

ネットでの感想ログを見るに、反日反戦平和ボケ極左どもは
この映画を反戦映画と思い込んでいるようだが
それこそは噴飯ものの勘違いというべきであろう。
この映画は何度も観たが、劇中に「戦争はいけません」
銃口を向けた敵と仲良く平和に」などといった
平和ボケした生ぬるいセリフは、一切出てこない。
            ◇
高畑の個人的な思想はどうあれ
描かれているのは、戦争に巻き込まれた一般市民の苦しい惨状と悲しい現実である。
戦争とは、敵の戦闘能力を奪うことで、屈服させるための行為であるから
戦争の直接当事者とは、あくまで武装した軍部・兵士だけである。
したがって、非武装の一般市民への攻撃は国際的ルール違反であり
国際社会の批判の的となる。
その禁忌を犯したのは、アメリカだった。
真珠湾以降、次々と東南アジア諸国を解放し
国民を部隊編成して訓練するとともに、植民地支配による疲弊を改善し
国力を回復させることで、現地人部隊とともに共闘しながら
不当搾取をしてきた欧米諸国を追放していったのが、先の大戦である。
そして、これが日本国の掲げていた「大東亜共栄圏」の目的である。
            ◇
そうした時に、現地人部隊とともに、日本軍の激しい抵抗に手を焼いた米軍は
より打撃を与えようと、日本国の一般国民にまで手を出すというタブーに手を着けた。
東京をはじめ多くの庶民が暮らす主要都市への空襲を開始したが
その手法たるや、都市周辺に焼夷弾を投じて炎の壁を作り
閉じこめられて逃げまどう庶民を爆撃して殲滅するという非人道的手法だった。
まさに三国志の陸孫さながらの、過酷な火攻めである。
さらには、物資の窮乏などにより戦力が低下し
戦況が悪化した日本の敗戦色が強くなった頃合いを見計らって
沖縄本土上陸作戦に乗りだした。
それを阻止すべく、日本軍に残されたのは特攻隊という最後の手段のみであった。
だが、不戦協定を結んでいたソ連軍の背信的侵攻により
両面作戦を強いられることになった日本は、そこで初めて降伏を決意したという。
ところが、敗戦準備に着手した日本に対して、原爆が二度も投下された。
マッカーサーはじめ五元帥は、敗戦準備に入ったのだから
その必要はないと、トルーマンを制止し、説得したが
トルーマンは敢えて強行した。なぜか。
            ◇
もちろん、原爆投下後のデータ収集の目的もあったが
政治家であるトルーマンは、大戦後の世界地図を読んでいた。
大戦が終結した後に、アメリカにとって新たな敵となるのは誰か。
共産陣営であり、その超大国ソ連である。
すでに戦後の東西冷戦構造を見据えていたトルーマン
西側陣営としての優位性を確保しておきたかった。
このため、原爆の威力と脅威を、ソ連に見せつけておく必要があったのである。
ただし、投下後の被害がより大きければ大きいほど、その宣伝効果も大きい。
このために、原爆投下後には、救急救命措置のため
現地入りしようとした赤十字の活動を禁じ
意図的に被害を拡大させるという非情冷酷な手段を執ったのである。
            ◇
言うまでもなく、非武装の民間人を大量殺戮した大空襲も、核兵器の使用も
国際法違反であり、国際社会の批判の的となる。
アメリカが問責されるのは、火を見るより明らかだった。
その誹りを回避するには、日本は大空襲も原爆投下も
やむなしの大悪党であったとの印象操作が必要である。
このために、ありとあらゆる戦争犯罪を捏造したのが東京裁判であり
そこで創り上げられたのが、今日の極左どもがいまだに騙されている
捏造自虐史観である。
インドのパール判事は、この裁判の不当性を主張し批判する意見書を提出したが
当然ながら、アメリカにとって不都合なその文書は握りつぶされてしまった。
かくして、東条英機松岡洋右らはA級戦犯の冤罪によって処刑され
それ以下の将校や一兵卒に至るまで
B、C級戦犯の汚名を着せられることとなった。
ちなみに「貝になりたかった」彼も、庶民でありながら処刑されてしまった。
            ◇
かくして、日本は物資窮乏の配給制で、真面目な判事が餓死するなどの
悲劇が生まれるほどに過酷な戦後が始まる。
この作品でも、幼い兄妹の餓死でエンディングとなるが
世界の覇権国であり、世界の警察を自認して正義を標榜してきたアメリカこそが
戦時下において、いかに非人道的であったか。
そして、庶民を戦争に巻き込んだ場合、どれほどの惨状となるのか
戦争の現実を克明に描き出したものである。
実際に動画サイトなどで、この作品を見たアメリカはじめ
諸国民の反応を見ると「アメリカはやりすぎだ」「日本人を殺し過ぎた」
「日本にすまないことをした」といった、自省のコメントも見られた。
            ◇
日本は、すでに平和憲法を採択しているのであるから
今さら反戦を叫んだり、喚く必要もないのである。
現実に、資源もエネルギーも自給自足できない日本は
一度も干戈を交えることなくして、平和里に経済成長を遂げたではないか。

粋な無修正写真。その中身は

29万円の写真集も 神保町の古書店児童ポルノ容疑

www.sankei.com

神保町の書店には、青物市場や魚屋のように、扉がないオープン形式で
書棚ではなく荷台の上に平積みで売るような形式の店もある。
天上からは、ブロマイドを束ねて吊り下げられて売られている。
通常の古書店もあれば、わいせつ本専門の店もあり、様々だが
ある書店で、大爆笑してしまったことがある。
           ◇
時は学徒の候。
院生の先輩とともに、界隈の焼鳥屋で飲んだ後
酔狂でブラリと、エロ本専門古書店を覗いてみた。
客がごった返していたので、長居する気にもならず
ただ店内を眺め回していたが、ふと天上のブロマイドに目を向けた。
艶めかしい画像が目に入るのかと思いきや
そこにあったのは、関取の写真であった。
瞬時に爆笑した。ある話を思い出したのである。
           ◇
エロ雑誌の裏表紙などには「粋な写真売ります」
「無修正写真売ります」といった通販広告が見られるが
ある好き者の友人が、鼻の下を伸ばしながら注文してみたという。
注文の品が届いたので、期待に胸を躍らせて開封してみたところ
中身は、なんと関取の写真ばかりであったとか。

「見事に裏切られた」と、しきりに怒る。
「しかし、ヌードには違いあるまい」(笑)と、からかうと
「相撲取りを見て、昂奮できるか!!」と、カリカリ。
「無修正だから、詐欺でもあるまい」(笑)と言えば
「廻しを着けているのに、修正の必要もないじゃないか!!」
           ◇
この古書店の天上に吊された関取ブロマイドも
騙された奴が下取りに持ち込んだのだろう。
唐突の笑いに怪訝そうな様子の先輩に、その話しを聞かせると
「間抜けな奴は、他にもいるんだな」と、やはり大爆笑であった。

日本で暴れなかった英フーリガン

乱闘に巻き込まれて警察が殉職…EL戦後にサポーター同士が激突

https://www.soccer-king.jp/news/world/el/20180223/719840.html

日韓W杯の時には、イギリスのフーリガン
暴動を起こすことが懸念されたが、杞憂であった。
日本に来たイギリスのあるフーリガンによると
日本人の愛想が良く、街中では悪者扱いどころか
記念撮影を頼まれるなど、著名なアイドルのようにもてはやされたので
すっかり気を良くして、暴れる気がなくなったとのこと。

「あなたフーリガンさん?」
「Yes」
「キャー、記念撮影お願いします」
「???????……lol

似たような話が、テロリストにもあった。
日本へのテロを企み、潜伏していたアルカイダのメンバーは
近所のおばちゃん達が、あまりにも親切なので
良心が痛んで計画を中止したとか。
            ◇
そう考えると、つくづく日本は良い国柄なのだと思う。
人種や宗教で差別することはなく、一神教ではないために
どんな信仰も思想も尊重する社会であるから
恨まれたり憎まれる理由がない。
そうした邪心無く、純真に他人を尊重する純朴な日本人の社会を
強いて破壊する意義や必要性がどこにあろうか。
だからこそ、その良心に付け込んで、歴史詐欺でタカろうとする中朝は
日本人からは心底から軽蔑され、憎悪されるのである。
それを指して「差別」と非難するなら、問答無用で張り倒すしかない。

性差は善悪も優劣も関係ない

「男女の経済格差は存在しない」論者が、公開討論で圧勝してしまった事件

biz-journal.jp

心理学にまで踏み込まずとも、骨格や生殖器官、脳構造の違いから
男女の違いは明らかで、完全同等であるわけがない。
そして構造的相違に起因する性的機能と役割の違いは
単純に分かることではないか。
例えば、左右の脳をつなぐ脳幹の太さは、男性よりも女性の方が太い。
この結果、ロジカルな左脳と情緒的な右脳の結びつきが強く
ロジックに情念が入り込みやすいのが女性であり
ロジックと情念を分けて捉えるのが、男性である。
この結果、リアルと妄想が平然として同居できる女性は
虚言が巧みであり、逆に男性は左右の結びつきが希薄な分、嘘が簡単にバレる。
浮気の隠蔽を見れば分かることで
女性は巧みに隠蔽するが、男性は簡単にバレてしまうではないか。
             ◇
現象面だけを見れば、リアルと妄想が同居する女性の精神構造は
偽証罪・誣告罪が日本の60倍とされ
虚偽も事実も見分けられない鮮人の精神構造にも似ているが
鮮人の場合は遺伝子構造の特殊性も関連しているので
単純に同一視することはできまい。
しかし、かつてサマーズ米元財務長官が
「女性は科学には向かない」と発言して批判を浴びたが
事実の積み上げを前提とする科学には
要らざる情念や固定観念などの混入は、避けられなければならない。
リアリズムに徹することが、女性にはできないというのではなく
それを困難とする女性の割合が、男性よりも多いという認識によるものだろう。
ただし、それは善悪の問題ではなく、また優劣の問題でもなく
女性の持つ特性や優位性を否定するものでもない。
そうした割り切りが、フェミニストや左派思想の者にはできないことが
フェミファシズムに基づくタブー視と言論封鎖のような
異様な思潮を解消できない原因だろう。

在日リストを手みやげにすべし

日韓】安倍晋三首相、文大統領に「日韓合意の履行誠実に実行するよう働きかける」衆院本会議[01/24]

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1516783866/

手みやげとして、在日リストを持っていけば良い。
これによって、新たな課税・徴兵対象者を特定し
確保できる南鮮政府としては、大いに喜ぶだろう。
二重国籍を認めない南鮮で、在日リストに基づく国籍法違反者の指定があれば
日本側は、入管がその指定に基づき、該当者を不法滞在者と認定し
その滞在許可を取り消して強制送還命令を下すことができる。
南鮮の国籍法改正は、それによって新たな税財源と兵力の補充を望む朴政権と
不良在日を閉め出したい安倍政権との利害が一致した取り決めを
反映したものであった。
したがって、日本の入管が国内の不法滞在者(在日者)に関する
情報提供窓口を新設したのもこれが背景にある。

【情報受付】

www.immi-moj.go.jp

世界は経済成長、個人は格差拡大

世界経済の成長見通し引き上げ トランプ減税の効果で

www.asahi.com

世界の富の82%、1%の富裕層に集中 国際NGO試算

www.asahi.com

経済は成長しても(上)格差は拡大(下)
この二つの記事が意味するものは、日本の現状そのものである。
企業経済は成長しても、個人に恩恵がないのは
世界的に共通の傾向かもしれない。
富の偏在の原因は、企業や資産家への優遇政策にある。
政策的恩恵を受ける、持てる者は富める一方で
政策の埒外に置かれる持たざる者は、じり貧の一途。
圧倒的に多くの者が貧しい状況で、成長などと呼べるのだろうか。
           ◇
何も私有財産を認めない社会主義
完全平等をユートピアとする共産主義を目指す必要はない。
資本主義原理は維持しつつも、過度な富の偏在を解消すべく
国富を再分配する修正資本主義の徹底が必要だ。
日本がバブル期に、猫も杓子もそこそこに裕福で
極端な貧困とは無縁でいられたのは
そうした再分配政策が、行政主導で強力に行われた結果である。
近年は競争入札に対する談合や、行政による忖度が批判の的となるが
国益を一部の関係者で独占する談合や
私利私欲のための忖度が批判されるべきなのであって
国益の再配分と利害調整のための談合と忖度は
むしろ格差是正のためには必要不可欠である。
           ◇
ところが、バブル崩壊後に談合の摘発が相次ぎ
行政官による忖度と収賄の発覚が続いたことから
企業社会は談合を廃止し、執行権をもつ行政は
責任追及を回避すべく自己保身に走り
予算執行後のアフターケアから逃げ回る事態に陥っている。
個人も企業も、突き詰めれば利己主義の塊であるから
自由放任主義に逃げてしまえば、格差は拡大する一方である。
政治とは利害調整機能であり、行政とは公平な所得再分配機能である。
その基本から逸れてしまった結果が
上記二つの記事の表す今日の現実だろう。